プロゴルファー『合田 洋』公式ブログ
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故郷を考える


私はその小川を知っている。
たぶん、かつて山で「わさび」を探した時にでも探りあてたか、幼少のみぎり祖母と来た時に見たのか。何故か記憶の片隅にではあるが「竹藪の小川」のことはハッキリと覚えている。

その小川はチョロチョロと、しかし暗い薮のハズれでは少し急角度に銅山川へと水を進めていた。翠の苔が生した岩なども記憶しているが、どうだろう? 全体的には土の上を這う、子供でもまたげるような可愛い感じの小川だった。
祖母と「茗荷(みょうが)」を採った時にも見たかもしれない。

 

もう何年も前になるが、ツアーを回っている途中、墓参りをしに故郷に寄った。それは花粉の影響で私の喉が潰れているときだった。

家に着くと叔母が、「婆ちゃんは神社のしたの竹薮で茗荷を採んりょるよ」と言う。すぐさま畦道を神社へと走った。
果たして神社から川のほうを見下ろすと、そこに祖母はいた。
だが声を掛けても私だとは一向に気付いて貰えない。それほどのダミ声になっていたのだ。
しかし私は寧ろそれを面白く思い、そのまま他人の振りをして祖母の茗荷採りを勝手に手伝うことにした。

とは言え早く気づいて欲しい気持ちはあった。
だから祖母にはたびたび声をかけるのだが、終始背中を向けたまま迷惑そうだ。こちらさえ向かせることが出来れば、たちまちのうちに祖母は笑顔になること請け合いなのである。

だが祖母は、誰とも判らない「男」に、せっかく採った茗荷を盗まれるとでも思ったのか、男の顔を見ようともせずに、怒った風情で「何処ぞのモンか知らんきんど手伝いやかいらんきん」と、とかく邪魔にされたのを憶えている。

 




あるとき、小川がコンクリートで固められしまった。

何時だったか、町に住む伯父(オイヤン)と散歩をしたとき、オイヤンがぽつりと「洋よ・・・人はのぅ、便利便利ばかり言うて大事なモノを自分から失くしていく生き物なんじゃ」と、そのコンクリートで固められた小川を見て言った。

人は生き物でありながら、自ら “生き物の棲めない環境” を作っていくということを、オイヤンは嘆いていたのである。

オイヤンは山に住む者の不便さを知っている。だから町に住む自分には何も言う資格が無いとも言っていた。その伯父の言葉に私が、確かな真理を感じたのは言うまでもない。



町に住む者が山(田舎)に対して、無責任な 『環境保護』 を訴えるのは、オイヤンの言うようにエゴイスティックなモノの考え方だ。

しかし彼の言葉どおり、自然環境の破壊というスパイラルが結局は人間自身が招くであろう破滅への道であることも疑いの無い事実だと感じてしまう。

否、私が感じる以上に既に重大な問題として、人間のイデアやアストラルに濃い陰を落とし始めているのかもしれない。

 

山の小さな竹林が、川のせせらぎが、我々に与えてくれる(与えてくれた)恵みは物質的なモノだけでは無い。深いカルマに常から悩む “人” という生き物の、アストラルの世界の原点だと言っても決して過言ではないのである。

小さな竹林の小さな小川に流れる水、しずやかな風に揺らぐ陽の輝きも、確かな手応えとして生命に息吹を吹き込んでくれているのだ。





 

Posted by : 合田洋 | 記事 | 17:17 | - | - | - | - |
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