プロゴルファー『合田 洋』公式ブログ
家族を考える 

私は4人の子供を持つ父親である。

来年2月に18歳を迎える長男を筆頭に、高校1年生と中学2年生の娘、そして4人目は小学校6年生の次男。正直言って、非常に厳しい親父だとは思うが、不思議なことに家族仲は良好だ。
私にとって「自慢の家族」なのだが、何より我が家は夫婦仲が良い。
子供達にさえ、よく言われるのが「本当に仲がいいね」という半ば “呆れ” も混じった言葉だから、その仲の良さは推して知るべしである。
だが何のことはない。
我々夫婦が日々行っていることは、お互いを理解すべき会話を絶やさないことだけだ。
女房と知り合ったのは、ともに18歳のとき。つまり、もう30年にも及ぶ “付き合い” になる。
それにも関わらず夫婦喧嘩はおろか、子供達のまえで「言い合い」すら無く、子供達が認める仲の良い夫婦であるのは、何のことはない、二人とも自分の感覚を押し付けるでもなく、どちらかが我慢するでもなく、ただ、会話によって互いを理解し得たからに過ぎない。
これからも二人で貧乏を乗り越えながら、末永く仲の良い夫婦でありたいと願っている。

今月12日、その女房の母親がまったく突然に亡くなった。
女房の両親は、我が家から車で5分ほどのところに住んでいるのだが、12日の早朝、義父(爺ちゃん)から電話があり、女房が駆けつけると、既に義母は息をしておらず、その心臓は鼓動するを停止していたという。
その朝はいつもの朝で、いつものように老夫婦は朝餉の支度に勤しんでいた。ひと部屋あけた廊下の物入れの前で何かをしていた義母が、小さな音をたてて倒れたという。
それっきりだったのだ。
少し血圧が高いくらいで、特別何の疾患も抱えてなかった義母が、こんなかたちで亡くなるとは思いもよらなかった。「いいひと」という言葉は、まさに義母のためにあるような言葉という人で、彼女がこんなタイミングで亡くなるとは思いもよらなかったのである。

婆ちゃん、さようなら……ただただ冥福を祈るばかりだ。


葬儀の一切が済んだ今も、我が家は少々ならず騒々しい。残された義父(爺ちゃん)を我が家に迎える準備に追われているのだ。
義母の49日があければ、我が家に家族が一人増える。



Posted by : 合田洋 | 記事 | 08:30 | - | - | - | - |
中国から帰って参りました。


 太平洋クラブ・益子コースで開催された来年のツアー出場権をかけた試合・QT 3rdを落選した小生だったが、
結果としてファイナルステージに進めなかったという事実に対しての反省や余韻を感じる暇もなく、
今月2日早朝に羽田空港を発ち、
日本のメディアでは尖閣諸島の問題に揺れに揺れていると報じられること頻りである中国へと飛んだのである。

場所は首都・北京。

 日本の人が、ただ聞けば、何やら 「決死行」 のようなイメージすら湧く昨今の訪中だが、
いざ行ってみれば、それは どこ吹く風 の風情で、
尖閣問題が勃発するまえ何らと変わらない中国は、我々をニコやかに迎えてくれたように感じた。
 滞在は十日間。険悪なムードは何処にも無かった。
今回は中国人の生徒さんのキャンセルなどもなく、今年最後の訪中ということもあってか、
ことに週末は、山崎さんと二人で行うには少々ハードぎみの生徒数を熟したという次第である。

 毎度毎度のことなのだが、海外で仕事をしたり試合に出向くたび、
日本人の感性というか感覚というか、ことを細かく言えば、根本的な思想的道徳感などに、
残念な部分を感じざるを得ない、ときがある。
 若年のころよりアジアを始め、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアなどを
ゴルフをプレーするという仕事(目的)で巡ったのだが、と同時に、
それぞれの国で様々な人々の御世話になってきた小生である。
そんななか実は度々、日本人であることが恥ずかしくなる質問やコメントを頂戴することがあった。

 長年の総評として、結論を端的に言えば、海外を旅するなかで各国の人々に接するとき、日本人を好きだとか日本に興味があると言う人の多くは 大正時代以前の日本の姿であり日本人古来の生活や思想のイメージを持っているように感じてはいたのだ。
 少なくとも、昨今の日本や日本人に対して、ハッキリと興味があると応える人は少ないと感じるし、
逆に、奇妙な民族であり、奇怪な道徳感を持った、人ではない人に映っているように感じていた。

 『自由』 という言葉を完全に履き違えた人々・・・・

 日本人が人として瓦解してゆくというか、正直、人として終わりかけている感じをすら
感じてしまうのは小生だけなのだろうか。
道徳感? なのか? 確かに何かが完全に欠落しているのである。

 外国人に外国で接するとき、彼らと会話をするときなどに、ようは我が祖国・日本の在り方に疑問を持ってしまうのだが、
 実は、最も そういう感覚に苛まれる瞬間 というのがある。

 それは、外国で、海外で活躍する日本人に接したときだ。
同じ日本人でありながら、彼らの眼をみながら、彼らと会話を重ねていけばいくほど、
海外に住まう日本人に接すれば接するほど、
日本に住んでいる日本人に対して哀しい感情が吹き出てしまうのである。




Posted by : 合田洋 | 記事 | 09:30 | - | - | - | - |
ゴルフダイジェストカップ

 10月21日
しのつく雨のなか、今年のGDカップ(ゴルフダイジェストカップ)が開催された。
 小生も、週刊ゴルフダイジェストで連載をさせて頂いているという関係から、そうそうたるメンバーの末席に名を寄せさせて頂いたという次第である。

 場所は、静岡県は裾野市、東名カントリークラブ。
旧いゴルファーであれば馴染み深いかと思うのだが、かつての秋のビッグイベント 『ゴルフダイジェスト・トーナメント』 が開催されていたコースでもある。
もちろん小生も、幾度となく出場し、ある意味、煮え湯を飲まされたという一人で御座る(笑)。

 昨年は、クオリファイニングトーナメント・3rdステージ(QT・3rd)と、このGDカップの日程がバッティングをしてしまい、出場を断念せざるを得なかったのだが、今年はQT・3rdが来週の火曜日(26日)から始まるということで、久々にヤッて参りました 東名カントリークラブ というわけだ。

 愛鷹コースと→裾野コースという順番でラウンドしたのだが、後半に回った裾野コースは、ゴルフダイジェスト・トーナメントでのOUTコース。何とも懐かしい気持ちに包まれながら、相変わらず、何とも難解なグリーン上で3パットを連発したという体たらくであった。





※3番ロングホール。だらだらと登り続ける心臓破りのロング。このホールの第3打目に、かつて芹澤信雄プロが、残り100yから三度ダフって6オンの憂き目に合い、ラウンド終了後は血眼になってウエッジばかりを練習し続けていたことがあった。延々登り続けるため、終いにアゴが上がってしまって、ダフっちゃう時がある。でも100yから3回ってのは、少しダフり過ぎでしたね(笑)。




※OUT最終9番ホール。下りのミドルホールだが、なかなかのホールロケーションでしょう? 全体的にはトリッキーなコースだが、晴れた日のロケーションは格別で、しかも毎年毎年素晴らしく整備されていたグリーンは、当時、太平洋マスターズの開催コースである太平洋クラブ・御殿場コースと双璧と賞賛されるほどのコンディションとスピードを醸していたのである。



 キャディマスター室などに御挨拶に参りましたが、その対応はとても温かく、ゴルフダイジェスト・トーナメント開催当時から、東名カントリークラブのクラブスタッフの行き届いた対応は大変評判が良かった。それは今でも変わらずに、小生如きプロゴルファーの挨拶に対しても、心からの笑顔が何とも嬉しいという一日となった。かつての戦場は、当時の気持ちとは打って変わって、懐かしいばかりで御座ったなぁ。

 スコアですか? スコアは「−1」。試合の時にも、だいたいこんな感じのスコアだった(笑)。
いくつになっても、進歩しない男なんですよ。ほんと



Posted by : 合田洋 | 記事 | 15:30 | - | - | - | - |
い鉢イ鉢

 侍シリーズ、バックナンバーを下記に紹介します。
これも懐かしい記事ですね。随分前に掲載した記事であります。
 薩摩の鬼斧 こと、小田龍一は、去年の日本オープンの覇者。石川くんと今野(ヤス)との、三つ巴のプレーオフは記憶に焼きついております。あの日の龍一、男前だったよね〜。

 さて、日本オープンの話が出たので、ついでと言っては何だが、少し書く。
 今年の日本オープンも昨日最終日を迎えて、韓国のキム・キョンテくんが優勝を遂げました。
 最終ラウンドが始まって間もなく、ひたひたと追い上げてくるキムくんの足音が聞こえるようなプレーが印象的な最終日の展開だったが、それはそれとして、小生としては最終組の2人から優勝者が出なかったのが非常に残念だったのであります。
 藤田はとにかくショットが不調のようで、ラウンド中に幾度となく、フィニッシュがとれない状態が続いていたが、そこは藤田の藤田たる所以というショートゲームの上手さと精神力の強さで、度重なるピンチをしのぎにしのぎ巻くって、本人的には不本意ではあったろうが単独2位という成績で終わった。最終ホールのティーショットを打つとき、アドレスに入る藤田が、胸に吸い込んだ息を大きく吐き出したのは、日本オープンという大魚を逃した自分の不運に対しての、「ため息」のようにも見えたのであります。本人的には苦しみ抜いたラウンドだったろうけれど、心の抑揚を表さず、最後の最後までチャンスを待ち続けた彼の姿勢には、こころ打たれるものがあった。素晴らしい精神力だったよね。
 
 しかし武藤、本音を言えば、俺は一番、お前に獲って欲しかったんだ。

まず9番ロングの2ndショット。なるべくグリーンに近づけたいという気持ちがありありと出ていて、日本オープンの鉄則である「ポジショニング」を疎かにしたことがマズかったのかもしれないね。
 そして、15番の短いミドル。あのバーディパットを外したときの武藤の態度・・・はっきり言って武藤、あれはガッカリし過ぎだよ。確かに、あのパットは大事だったし、展開的に勝負を決めるパットではあったが、まだ試合は終わってないんだからね。あの時点で、「今日はパットが入らない。今日はパットが入らない」なんて言葉が呪文のように、頭のなかを巡りに巡ってしまったかな?。
 まぁ最終ホールの4パットは、あんなものは余興みたいなもんだ。人からは、あれこれ勝手なことを言われるだろうが、あれ自体はトップに届かなかったことでの落胆から起こる一つの現象で、大した問題なんかじゃない。
 しかし武藤は今回の敗戦で、一緒に回った藤田から大きなものを貰ったかもしれない。武藤自身が、これから大きくなるために何が必要で何が要らないのかを自覚できたと、小生は信じている。

がんばれ。





『安芸の若虎』 … 谷原秀人


そのドライバーショットは、躍動する猛虎の跳躍を彷彿させ、
アイアンショットは、鋭い爪の切れ味を持つ。
獲物の喉笛を咬みきるが如き攻撃的なパッティングを目の当たりにする時、
人々は戦慄をさえ覚えるであろう。

鬱蒼とした森に、鋭い眼光だけが動いている。
寡黙に獲物を狙う “虎の眼” を持つ男…それが谷原だ。

精神的な持久力には、ヤヤもすると欠ける帰来は否めないが、
己を鍛え上げ、
常に貪欲にゴルフに対して取り組む様は、谷原の持ち味であり、
如何なる困難をも強い忍耐力で克服してゆく。

夕焼けに染まる練習グリーンで、
一人黙々と練習をする谷原に、神仏の加護は必ずある。

寡黙でストイックな【若虎】は、今、世界の喉笛を見詰めている。




『薩摩の鬼斧』 … 小田龍一


前世が“きこり”か?
と思わせる程の怪力の持ち主であるかと思えば…
物事を深く深く沈考する。

その怪力で強打された打球は、
轟音と共に、唸りを上げて、中空を切り裂いてゆく…
その様は、まるで雷(いかづち)だ。

剛打を武器に、次々とバーディを重ねてゆく小田ではあるが、実は、
彼の本当の魅力は “繊細なショット” にあるのだ。
打球を停止させる能力に於いて、小田を凌駕する者はいない。

錦港湾に悠然と浮かぶ“桜島”に育まれた【鬼斧】は、
“薩摩の二才(鹿児島の男)”らしく、礼儀を重んじ、年長者を常に敬う。
その姿には、忘れられた日本を垣間見ることが出来て、清々しくもある。

山野にコダマする“剛打”と、
清流のせせらぎを思わせる“繊細なショット”を携えて…
“哲人・小田龍”は、フェアウェイを歩む。




『浪花の勢源』 … 井戸木鴻樹


屋内戦や、狭い場所での戦闘には、
絶対に欠かせない“小太刀(こだち)”の技…
井戸木のプレーには、小太刀の達人【剣豪・富田勢源】を彷彿させる“妙”がある。

長槍や重い大刀を力任せに振り回し、
ただただ猛進するに頼む無頼漢の多い中…
巧みに“技”を駆使し、一つ一つの難関を駆逐してゆく井戸木のプレーは必見だ。

プレーに “熟練の味わい” を醸し出す、数少ないプレーヤーの一人であろう。

あらゆる人に平等に接し、
慈愛と敬愛に溢れる眼差しを向ける井戸木の心に触れる時、
嘘偽りの無い『真の良識』を見出すことが出来る。
彼は素晴らしい人間性の持ち主なのだ。

「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」…彼のプレーを見る時、
屈託の無い笑顔を絶やさない井戸木が、
己の中では、阿修羅の如くに奮戦する姿を、覗き見ることが出来るであろう。



※富田勢源(とだ せいげん)
   戦国時代、一乗谷(越前 朝倉家)・中条流『小太刀』の達人として有名な剣客。
   中条流の末流には、江戸期に隆盛を極める「一刀流」がある。






 

Posted by : 合田洋 | 侍プロゴルファー | 10:20 | - | - | - | - |
これからも時々、中国に御邪魔します。

 実は小生、今年なってから、中国は北京に於いて定期的なゴルフレッスンを行っている。
中国駐在の日本人のかた、もちろん中国人のかたなど、進境著しい中国という国で、国籍を問わず様々なかたに対して、ゴルフのレッスンを敢行しているというわけで御座います。

 レッスンに携わるプロスタッフは現在2人、まだまだ2人で何とかヤッてゆける御客様の人数だが、どうやら御客様の多くに御満足を頂いているようで、受講人数は徐々に増えてゆく傾向にあるようだ。

 レッスンを行うプロスタッフは、不詳小生・合田洋と、もう一人は90年代の女子プロゴルフ界を席巻した 山崎千佳代プロ。
 山崎プロとは十代からの知り合いで、共に近隣のゴルフコースに所属していたという関係もあってか、男女という壁に隔たれてはいたものの、若年の頃には、お互いをライバルのようなイメージで捉えていた旧き良き友人の一人なのであります。
 ともあれ、二人して、ちょうど同じような頃にプロテストに合格し、ツアーに参戦をしていたが、また、ちょうど同じような頃にトーナメントの第一線を退き、現在このような形でレッスンという仕事に携われたことは、ある意味、幸せだと思ってもいる。
 まぁ、そんな我々レッスンスタッフ(現在は2人だが)が、日々綿密なディスカッションを重ねて、「御客様それぞれに最も良いアドバイスを行っていこう」という 個別スタイルのレッスン だから、スキルアップは元より、御客様の満足度もそこそこ悪いものではないのでしょうね。




※天安門の望楼より、世界三大広場の一つ 『天安門広場』 を望む。56の民族が混在する他民族国家・中国の象徴的な場所で、様々な民族衣装に身を包んだ人々が処狭しと行き交う。訪れたこの日は “晴れ” なのだが、何故か遠望がきかない。白濁の空もまた北京の特徴なのである。

        

 
Posted by : 合田洋 | 記事 | 08:44 | - | - | - | - |
,鉢△鉢
 
だいぶ旧い記事ですが、御約束どおり、侍プロゴルファーのバックナンバーを御紹介申し上げます。






『筑前白鷹』 … 手嶋多一

若年の頃より「九州の天才児」との呼び声が高かった手嶋は…
目上の者に対しては折り目正しく、目下の者に対しては常に慈愛の目を向ける。

彼の魅力は、申すまでも無く“バランスの取れた人間性”にあり、
プレーに於いても “オールラウンドなプレーヤー” であるというところだ。

即ち、
ショット&アプローチ&パッティングの全てに於ける完成度が高く、正確無比!
“総合的に優れたプレーヤー”であると同時に“優れた人格者”なのである。

根が明るく、人々を幸せな気持ちにさせる手嶋のトークには、
「覇者たる者は、かくあるべし」との感慨を受けるだろう。

大空を羽ばたくが如き、プロゴルフ界の善意【筑前の鷹】は、
如何なる時も我々の憧れであり、尊敬に値する者なのである。

高貴なる“白鷹”の称号にて彼を呼びたい。




『赤城の小天狗』 … 武藤俊憲


大人しい風貌とは裏腹に…武藤のショットは、強烈な破壊力を持つ。

柔軟な身体に潜む強靭なバネ…
微動だにしない武藤のスイング軸は、
その瞬発力を増大させ、恰も追い風に乗せるが如く、遠くへ遠くへと打球を誘う(いざなう)。
強風の中で、自らの打球をコントロールする技術もピカイチだ。

上州の“空っ風”に育まれた武藤は、
将に “風を操る(あやつる)” 【小天狗】なのである。

また、彼の魅力はその“鮮烈なプレー”だけでは無い。
その、実直な人柄、素直な性格が、人を招き、武藤自身の“学び”を招く。
数多の人々から“学び”を得て、勇躍を遂げるであろう逸材・・・それが武藤なのだ。

『赤城の小天狗』=武藤俊憲…赤城の山が、何時も君を見ている。
心して懸かれぃ!。




 


『浜の与一』 … 野仲 茂


茶目な仕草と、優しい笑顔。

野仲を見る時、人は、節度正しい彼の“フェアプレー精神”を学ぶだろう。
殊に、彼の笑顔は格別であり、その素晴らしい人格と共に人々を魅了してやまない。

相模の国・横浜で育まれた野仲の“魅力”は…
【那須与一の弓】の様な “狙い撃つショット” にある。

ひとたび集中し、笑顔を消して…
キリリと、端正な面差しを見せるや否や、野仲の放った“矢(打球)”は、
遠く水面に揺らぐ扇子をも射抜くほどの精度にて、
ピン傍を次々にゲットしていくであろう。
伝説の弓の名手・那須与一の矢の様に、ターゲットを射抜くのである。

いつも“前のめり”でフェアウェイを歩く彼の姿を見る時
「日本男児たる者、かくあるべし」との思いに至る。

人品まさに秀で、素晴らしい“パフォーマンス”を持つ彼に『浜の与一』の称号を与えたい。




Posted by : 合田洋 | 侍プロゴルファー | 17:49 | - | - | - | - |
46歳

 おはようございます。
 
 やっぱり雨だったな。予報通りだ。

 10月10日の雨は、過去に本当に記憶がないくらい無くて、そう言えば小学校4年生か5年生の時には雨が降って、外で遊べないということで家に友達を呼んで、そのとき昼飯にオフクロが作ってくれたカレースープが、ことのほか旨かったという記憶があるくらいのものだ。
 転勤の多かった家庭に育ったんだが、本当に晴れる日が多かった。
それは、東京オリンピックの開催日が10月10日に決まったということにも関連していて、昭和39年(1964年)以前にも、10月10日という日は晴天になる確率が非常に高かったという統計上の数字があった。だから今日の雨は、数字上(統計的)も極めて珍しいということが言えるのであります。


Posted by : 合田洋 | 記事 | 10:10 | - | - | - | - |
思い思いに書いてみる。
 
 もともとは、「筆不精」と言える小生であります。
 
 人前も苦手だし、ましてや知らない人に、自分が何を考えているだの自分の近況をお話するなど、まったく とんでもない話 でして、お恥ずかしいのは元より、正直言って「面倒くさい」の一言に尽きるということもあるのですが(笑)、数年前から気まぐれに書いていた『samurai 闘う男達』というブログの記事に、アクセスし続けてくれているという奇特な方々が、更新を期待してくれているという声を多く聞くに及び、このまま消えてなくなっちゃおうかな と考えていた もう一人の自分の尻を蹴り上げるようにして、ここにやって来たという次第であります。
 
 今でも疑問なのは、分かり難くも読み辛いと当の本人が自覚をする我が文章に、どうやら期待してくれている人がいるということですが、それはそれ、この イージス・エイトの記事(ブログ)だけは、大げさに言えば、己の生涯の一つの使命くらいに考えて、しっかりと継続してゆこうと考えております。
 
 ちなみに、バックナンバーの 侍プロゴルファー紹介 という記事は、後に、こちらに転載します。
この 侍ゴルファー達を紹介した経緯は、別に彼らの成績を優先したり小生が人間的に好ましいと考えた選手を記事にしたわけではなく、歴史好きの小生が、「確かに侍である」と感じた選手を、まさに自分の感性で勝手に御紹介させて頂いたというものでした。
 まぁ、「侍の心を持つ」という人間を対象にしたわけですから、既に優勝したり一流選手と呼ばれる人間も何人かはおりました。ですが、その多くは未だ未勝利のプロゴルファー達でもあったのです。
 ところが意外なことに、みんな勝つんですね。正直言って、とても不思議でした。
ともあれ、今年の夏、関西オープンで優勝を遂げた 浜の与一 こと野仲茂くん。彼のツアー初優勝をもって、ツアー未勝利の侍は現在ただ一人となっておりますから、侍プロゴルファーのほうも更新しなければなりませんね。


Posted by : 合田洋 | 記事 | 10:07 | - | - | - | - |
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